うちゅうのくじら

そりゃあもういいひだったよ

むしょくという異世界転生

浮遊するむしょく

むしょくになって約2ヶ月が経った。

数少ない友人からも「なんか雰囲気変わった」「半歩宙に浮いている感じ」と言われることもあり、むしょくという状態に、体と心がなじんできたように感じる。

ふわふわしているように見えるのだろうが、こころもちとしては、チベットスナギツネのようである。

むしょっくぽい顔してる

意識をどこに置くわけでもなく、広い視野でこの社会全体の、そして人間という存在の愚かさや不思議さを面白おかしく、時に思慮深く、時に斜に構えながめているのだ、というのは嘘で、だだボーっとしている時間が増えたからだろう。

それはとても贅沢なことだと思う。

当初はふるえながら1日1日をやり過ごしていたが、今はもうあまり不安もなく、それなりに楽しく毎日を送れている。

良いか悪いかは別にして、「まあ、どうにかなる」という心境に至っている。

働いていたころと比べると、もはや別の世界に転生したような感覚だ。

なんだかんだで仕事というものが生活の中でかなり大きなウエイトを占めていて、それがすっぽりと無くなってしまったから、そういう感覚に陥るのだろう。

バスに揺られ続けていたあのころ

雇用される側として社会に所属し続けておよそ20年、違和感しか感じていなかった。その間いくつか転職をし、所属する組織も変わったが、その違和感はずっとへばりついていた。どの組織にいても同じだった。ということは、結局それは私個人の問題なのだろう。社会や会社や時代のせいにしたこともあったが、それはそれで何か違うという気もしていた。

20年間、乗り心地の悪いバスに揺られ続けるように働いてきた。行先のわからない、せま苦しいバスだった。自分で運転するわけではないから楽ではある一方で、不自由さはあった。ただ前に進めている感覚はあった。もちろん楽しいこともあったし、充実感もあった。しかし、それだけで乗り続けられるほど私はタフではなかったし、バスを降りた今、それがわかっただけでもよかったと思っている。

私も40歳を超え、そろそろ自身の働き方を見直す時期にきた、ということなのだろうと勝手に解釈し、あせらず今後のことを考えていきたい。

色んな選択肢はあるが、何が正解かは最後まで分からない。最初は正解だと思ったものが、結局そうでない場合もあるし、その逆も多い。

しかし、我々は選択をせざるを得ない。選んでいるようで、実は選ばされていることがほとんどな気がする。

本当は何も選びたくなんかないのに。

でも、そういう世界に我々は生きている。だから仕方のないことなのだ。

仕方のないことがこの世界には多すぎる。

ただせめて選択するのであれば、少しでも自分らしく生きていけるような道を選びとりたい。

そういう道を見つけたとき、異世界が現実世界となるのかもしれない。

遠くを見るチベットスナギツネ