父親の記憶
本棚の上に父親がとったパネル写真が飾ってある。
中東らしき場所で、ターバンを巻いたおじいさんと、その横で孫らしき子供がこちらを見て笑っている写真だ。
私の父はフォトジャーナリストという職業で、ニコンのカメラを首からぶら下げて、世界中の虐げられた人たちを撮り続けた。
家にはたまにしか帰ってこなかった。ドアを開けるなり、現像用の暗室に直行することもあった。昔は今みたいにデジタル化されていなかったから、1枚1枚手作業で現像していたのだ。
魔法使いの背中
いくつか忘れたが、子供のころ、一度現像用の暗室を開けたことがあった。その部屋を開けてはいけないことは、母から何度も聞かされていたから、わかっていたはずだった。光が入ると、写真がダメになるからだ。
でも、だからこそ開けずにはいられなかった。見てはいけないものを見ようとする好奇心くらいは人並にあった。だから私は、そーっと音を立てないようにドアを開けたんだと思う。
壁に付けられた赤い電球の光を受けて、せわしなく作業をしている父の背中が、ぼうっと浮かび上がって、何か不思議な薬を調合している魔法使いのように私の目には映った。
私はドアのすき間から胸を高鳴らせて、そっと父の背中を見上げ続けていた。父はなかなか私に気付かなかった。それだけ集中していたんだろう。ようやく私の視線に気付き、目が合った時、父は確かふっと笑ったんだと思う。くわえ煙草の口角がぐっと持ち上がって、目じりに深いしわが寄ったその表情を覚えている。
誰かに記憶されること
父はもうこの世にはいない。
記憶は不思議なもので、ふとしたことをしっかりと覚えているものだし、どれだけ忘れたくないと思っても、抜け落ちていく記憶がある。そこに意志というものは、介在しない。同様に、誰かにどれだけ忘れてほしくない、と願ってもいつか忘れ去られてしまうこともある。そういう意味では記憶は残酷なものであるが、我々にとって必要不可欠なものである。
記憶の連続性というものが担保されないと、我々は自我を保つことが難しい。つまり10年前、去年、先月、昨日の記憶と、現在の自分につながりがないと、人は混乱する。
何を記憶するのか、それに対する選択肢はない。人は記憶に対して、主導権を握ることはできない。いつのまにか記憶されているものだ。我々は、覚えたいと思って長期的な記憶を構築していない。意志が通用するのは、あくまで短期的な記憶に対してだ。意識の深層に残る記憶というものは、おそらく無意識下で選ばれる。思い出とは、そういうものの中で浅層に位置するものだ。だからこそ、残り続ける記憶には何しかしらの意味を見出すことができるのかもしれない。
父の記憶はいくつかあるが、その暗室でのことは、おそらく一番鮮明なものだ。
記憶について考えると、大抵死ということが頭の中をよぎる。
どうあがいても、人は死ぬ。それは、圧倒的な真実だ。
人は死に対して無力だし、敗北せざるを得ない。しかし、死に対して我々が対抗しうる唯一の手段が記憶なのではないだろうか。
父は死んだが、記憶の中の彼は私が生きている限り、残り続ける。
そう考えると、死という絶対的な真理に対しての、ささやかな対抗手段が「誰かに記憶されること」なのだろう。
その抵抗はあまりにも儚いが、それがゆえに美しい。
人は二度死ぬと言われる。一つは肉体の死、一つは忘却による死である。
忘れ去られることが、本当の意味での死なのだろうか。
それとも、肉体が死んだらすべて終わりなのだろうか。
さて、我々は一体誰に忘れ去られたくないのだろう。そのために何ができるのだろう。
そうやって死を逆説的に捉えることが、時々人生には必要な気がしてならない。