うちゅうのくじら

そりゃあもういいひだったよ

おもひでぽろぽろ

パースの思い出part1

オーストラリアでの日々 8歳からの3年間と15歳からの1年半、西オーストラリアのパース市で過ごしたことがある。 母親が父親と離婚したとき、かなりの額の慰謝料をもらったそうで、母はそのお金で長年の夢だった長期留学を実現させた。子連れの留学である。 …

GOLDEN BALLの悲劇

小学生のころ、ワープロというものが家にあった。 ワープロとは、今でいうWordとプリンターが一体になったものであるが、そのころ母は大学に行っていて、その論文を書くのに使っていたものである。 母が無事卒業した後はもうお払い箱になったようで、部屋の…

魔法使いの背中

父親の記憶 本棚の上に父親がとったパネル写真が飾ってある。 中東らしき場所で、ターバンを巻いたおじいさんと、その横で孫らしき子供がこちらを見て笑っている写真だ。 私の父はフォトジャーナリストという職業で、ニコンのカメラを首からぶら下げて、世界…

おとうさんの手料理

男女が分け隔てなく家事をする世の中になって久しいが、私にとっておとうさんが作る料理というのは何かしら特別なものがあった。 私が父の料理でまだ覚えているのは広島焼とやきそばだ。 どちらもたっぷりとソースがからまっていて、濃厚で、普段口にするこ…

かわいいほしぶどう

ほしぶどう事件 何度か過去に女性を本気で怒らせたことがある。 そのうちのひとつに、女性のちくびをつまみながら、「干しぶどう」としょうもないことを言ってしまったということがある。確かにそれは今朝方に食べたぶどうパンに点在していた干しぶどうと瓜…