村上春樹の「ノルウェイの森」に突撃隊、という登場人物が出てくる。
主人公の大学寮の相部屋住人で、病的なまでの清潔好きなのだ。
その住人のおかげで主人公の部屋は死体安置所のように清潔だったと描写されている。
床にはちりひとつなく、窓ガラスにはくもりひとつなく、布団は週に一度干され、鉛筆はきちんと鉛筆立てに収まり、カーテンさえ月に一度洗濯された。僕の同居人が病的なまでの清潔好きだったからだ。僕は他の連中に「あいつカーテンまで洗うんだぜ」と言ったが誰もそんなことは信じなかった。カーテンというのは半永久的に窓にぶらさがっているものだと彼らは信じていたのだ。「あれは異常性格だよ」と彼らは言った。それからみんなは彼のことをナチとか突撃隊だとか呼ぶようになった。(ノルウェイの森上巻より)
私がこの本を読んだのは大学生の時だったが、私もそれまでカーテンは洗うものという概念がなかった。このシーンを読んで「なるほど」と思い、おもむろに本を置いてカーテンをひきはがし、洗濯機に放り込んだ。私の中で「カーテン」と「洗濯」という言葉がくっつくようになったのは、突撃隊のおかげである。
さすがに毎月は無理なので、大掃除の時期に合わせて洗うようにしている。洗うようになって気が付いたのだが、カーテンは意外と汚れているものだ。砂や花粉、ほこりやちりなど実に様々なものが風によって運ばれて、カーテンにまとわりつく。突撃隊がカーテンをこまめに洗うのもうなずける。
カーテンの洗濯は案外楽で、カーテンフックからカーテンを取り外し、洗濯機に放り込む。私は「おしゃれ着洗い」を選択し、洗い終わったらそのままフックに引っ掛けている。するとそのうち乾いている。干す手間が省けるのも、カーテン洗濯のいいところだ。今の時期は加湿器代わりにもなるのでちょうどよい。
洗いたてのカーテンが風にふくらんでいるのを見ると、心休まるものがある。洗剤のにおいを含んだ風が部屋を取りぬけるのも心地いい。
ちなみに突撃隊が主人公に蛍をあげるシーンがある。蛍はインスタント・コーヒーの瓶に入っていて、突撃隊が庭にいたのを捕まえたとのことだった。
主人公は夕暮れ時の屋上に上がり、その蛍を給水タンクの上に置いてやる。
蛍はやがて夏の淡い闇に消えていくのだが、このシーンは作品全体を象徴しているようで、私はとても好きだ。