うちゅうのくじら

そりゃあもういいひだったよ

本は買って読め、家は借りて住め

欲望の余韻

子供のプール熱が移ってしまい、しばらくダウンしていた。

息子はすでに元気全開で、TV電話のたびに「クレーン車買ってきて」「ポプコーンもいる(ポップコーンと言えない)」「スポーツカーもね」と全力で欲望をぶつけてくる。もちろん買わない。元気になったら、甘やかすのは終わりである。しかしつい買ってしまいそうになる自分がいて、そのたびにそんな自分をぶん殴っている。お父さんも闘っているのだ。わかってくれ、息子よ。

とにかく、ようやく外出できるようにまで回復したので、かかりつけのクリニックに定期通院した後、メガネを買い替えた。

できあがるまで待ち時間が40分ほどあったので、むしょくになってから初めてお店をブラブラした。百均で洗濯ばさみと汗拭き用のウエットティッシュだけ買い、あとは無印やらユニクロやらを見て回り、本屋さんに寄った。

特に欲しい本はなかったが、どれか一冊だけは買うつもりだった。本はもうAmazonで古本を買うことがほとんどで、本屋さんまで行って買うことがなくなった。だから久しぶりに新書を買おうと思っていた。

本は買って読め、家は借りて住め

誰が言ったか忘れたが、この言葉をずっと覚えていて(調べたら灰谷健次郎だった)基本的に本は買うことが多い。ちなみに本は図書館で借りてもいいし、家を買ってもいいと思っている。その人のスタイルに合えばなんでもいいと考えているが、私にとってこの言葉はビビッときたのだろう、割と律儀に守っている節がある。「読みたいときにいつでも読めるようにしておきたい」という願望があるのかもしれない。「自分だけの図書館」を作っている感覚でもある。

本を読むことは体験することに近い。時に現実の体験よりも深く面白く心に残る場合もある。実際に経験することも、空想の旅にでることも、どちらも大切なのだろう。

目に見えている現実だけがすべてではない

そういうことを本は教えてくれる。どうせならそういうものにお金を払いたい。

せっかくなのでいい本を、と思い30分以上はうろちょろしていたが、結局ほしい本はなかった。ただファンタジー系のコーナーを見て回っているとき、中学生のころに読んだ「幻魔大戦」を思い出した。文庫版は全20冊もあるボリューミーなタイトルだが、いまだに鮮明に覚えているシーンや文章がある。Amazonで調べてみると古本なのに1冊1000円近くしているので、欲しいものリストに入れておいて、メガネを取りに向かった。結局本屋さんでは何も買わなかった。こうなったらなんでもいいや、とも思ったが買えなかった。少し残念だった。

学生のころ、本の虫だった。

小学生のときは「ズッコケ三人組」シリーズや「少年探偵団」シリーズに夢中になり、中学生のときは前述した「幻魔大戦」や「世界名作シリーズ」を読み、高校では司馬遼太郎小松左京、あとは「ゲド戦記」シリーズが好きだった。大学では村上春樹村上龍、「ハリーポッター」などをよく読んだ。眉間にしわを寄せながら、スタバでトルストイドストエフスキーを読んだのもいい思い出だ。思えば大学のころが人生で一番本を読んだ気がする。授業中に一冊読み終わってしまったので、トイレ行くふりをして抜け出して古本屋へ行き、また戻ってきて読みだし友達に引かれたことも今となっては懐かしい。社会人になってからはビジネス書や自己啓発系が多くなったが、最近になって今まで読んでいた本を読みたくなってきたように思う。

その当時とはまた別のことを感じたりして、あのころの自分を追体験しつつ、新たな発見もあり、それがなかなか楽しいのだ。

中二病全開だったあの頃の自分に会いたいし、「幻魔大戦」、買おうかなあ……。