物心ついたときから、わたしの周りには大きな建物がたくさんあった。
都会と言うよりは、他の都市で持て余されたものが集まってひとかたまりになったような街だった。それは建物もそこに住む人達も同じだった。
いびつで混沌としていて、総体として遠くから街を眺めたとき、それが何なのかよくわからない。おそらく、わたしの街は周りからそんな風に思われていたんだと思う。
でもそこに住んでいるものからしたら、ひとつひとつの建物にはもちろん意味があった。集合住宅や学校や病院や商業ビルや発電所や工場、色あせた遊具がある公園、葬儀場や廃墟と化した建物、そして無数の電柱が真夏の雑草みたいにずんと伸びていて、その電柱のてっぺんには、黒い電線が網目状にぶらさがっている。わたしはその中を蟻のようにちょこまかと行き来しながら育った。
雑多な街だった。子供の目から見ても、よくないものもあったし、よいものもあったし、そのどちらにも属さない物もあったし、見分けがつかないものもあった。それでもわたしはこの街に愛着のようなものを感じていたと思う。どのような土地であっても、わたしにとっては大事な生まれ故郷だ。
乱立する建物の中には、それがどのような目的で建てられた物なのかわからないものもあった。
わたしはよくそんな建物をじっと眺めるのが好きだった。学校の帰りにその建物の近くに腰掛けて、そこを行き来する人たちを飽きることなく眺めているのが好きだった。
毎日毎日、わたしの知らない大人たちが知らない建物で知らない事をせっせとしている。それを想像するだけで、子供心になぜかワクワクしたものだった。あの人達は一体何をしているんだろう? あんな小難しい顔をしているから、さぞ大変なことをしているに違いない。そんなことを思いながら、駄菓子をつまみつつ、飽きることなく眺めていたものだった。
ここからは夢の話だ。今でもその街のことは夢に見る。
夢の中でわたしは空を飛んでいる。街の上空をぐるぐるとまわりながら、街を眺めている。とても気分は良い。
眼下に色あせた旗がバタバタと揺らめいている。あれは学校のグランドで、揺らめいているのは国旗だ。レゴブロックみたいに小さくなった人間が、学校ににのまれていく所が見える。
時刻は大抵夕暮れ時で、噴き上がる炎のような雲の下に、たくさんの建物の影が見える。雲はよどみなく流れて、やがて街に明かりが音もなく灯り出す。たくさんのネオンが明滅を繰り返している。
空は夕焼けのオレンジから夜の群青に変わり、さらに朝焼けの霞がかった乳白に変化する。
景色は早送りしたように目まぐるしく朝になり、昼になり、夕方になり、夜になり、そしてまた朝になった。太陽と月がせわしなく頭上を行き来している。それが繰り返される。
時がぐるぐるとめぐっていく街を見下ろしながら、わたしは自分や母親の姿を探す。かつて住んでいた建物のあたりをじっと見る。時間がかかればかかるほど、その変化が速くなっていくのを知っているから、どんどんとぼやけていく街に目をこらす。でも、その痕跡すら見つけることはできない。場所はわかっているはずなのに。しびれをきらして、街の中へ降りていこうとすると夢から覚めるか、別の夢に切り替わる。だから、わたしは空の上から探すしかないのだ。
やがて街の変化がめまぐるしくなり、ひとかたまりの光りとなる。その光は帯のような形にすーっと引き伸ばされると、立ち昇るようにして消えていく。その残像がしばらく残っていて、かすかな光を放っている。光は茶化すみたいにゆらめくと、やがて街と共に消えていく。
そういう夢をたまに見る。変な夢である。別に嫌な夢というわけでもないのだが、こうやって文章にしてみると妙な気持ちになる。しかし、おそらくもう10年以上は繰り返している。気にならないわけでもない。ひどくやわらかい扁平なトゲが、頭の中に浅く刺さっている気分だ。
夢の中でいけないのであれば、現実世界で行ってみるのもいいのかもしれない。
あの街は今もきちんと存在しているはずだ。それにこういうのは、映画の主人公になったみたいで少しワクワクしたりもする。