うちゅうのくじら

そりゃあもういいひだったよ

シュークリーム理論

40という年齢は妙なものだ。

日本の平均寿命は男性が81歳(女性が87歳)だから、仮にこの通りに死ねるとすると、ちょうど半分生き切ったことになる。

健康寿命なんかを考えると、折り返し地点はもはや数十メートル後方ということになる。息はすでに半分以上あがっているように思うし、ゴールに向かうにつれ、体力はどんどんと減っていく。腰や膝が痛むし、リュックの中身がしだいにふくらんでいる。

しかし、過去や未来なんかを腰をすえて考えてみるには、ちょうどいい地点なのかもしれない。40歳というのは、そういう意味で言うと多感な時期なのである。

 

10代や20代のころの自分と比べて何が変わったのかと自問しても、答えはあまり出てこない。というより、結局は生まれてから何も変わっていない、と思わざるを得ない。確かに体は成長し、それに伴い精神性や価値観なんかも変化はすれど、生まれ持った根本の部分は、おそらく何も変わらない。

これは自分が、というよりも、人間全体に共通する普遍的なことであるようにも思う。生きていく上で必要な社会性や人間関係なんかが、こう、ぶわっと覆いかぶさっているだけなのである。シュークリームのクリームと生地みたいに、生地が中のクリームを内包している。クリームはおいしい。しかし、生地がないとクリームはうまく存在できない。食べる前に床に落ちるし、床に落ちたクリームほど悲しいものはない。

 

こういうことは、過去数多の心理学者や哲学者が言ってきたような気もするが、ただ聞きかじるだけではなく、自分自身で実感やら体験を通して、ようやく腑に落ちるということがある。

シュークリームに話を戻すと、人間誰しも生地とクリームがあるし、生地はかたくなったり、しっとりしたりするが、クリームはレシピ通りのクリームのまま。そういう意味で言うと、人間は(自分は)変わるし、変わらないと言いたい。これは自分自身への提言でもある。生地ばかり見つめて生きていても仕方ないということなのだ。

ちなみにシュークリームは生地が薄くて、しっとりしているのが好みである。