道のように、いつのまにか物語ができている絵本
「不思議の国のアリス」の世界観 ✖「ウォーリーをさがせ」の細部の楽しさ
この絵本には文字がない。ふしぎなまちの絵が描かれているだけだ。
滝のそばにあるまち、つみ重なった本のまち、きかんしゃのまち、ランプのまち、おばけのまち、サーカスのまち。
夢の中に出てくるような素敵なまちと、そこに暮らす人達が緻密かつコミカルに描かれている。
この絵本がおもしろいのは、それぞれのまちにきちんと生活感があるところだ。そこに読み手自身の空想を重ね合わせ、自由に楽しめる余地がある。
冒頭と最後のページにそれぞれ男の子と女の子が描かれており、それぞれのまちの中を歩いている様子が見て取れる。ページの両端からふたりは歩き出し、ページのまん中で出会うのだ。おそらくどちら側から読んでもいい。
ちなみに冒険のお供に、男の子は猫を、女の子は犬を連れている。
文字がなければ物語がないわけではない。それを作るのは読み手の方なのだ。
ストーリーは読む人の分だけある
この絵本の楽しいところは、自分で自由に物語を作れるところだ。どうしてふたりは旅にでるのか、それぞれのまちでは、どの家に泊まり、どんなことに困り、どんなことを楽しみ、どんなお話をして、どんな風に去ったのか、自分だけのイマジネーションをどれだけでも投影することができる。
男の子と女の子が出会ったとき、ふたりはどんな会話をするんだろうか。
絵本の中のまちを訪れる
こどもと読むときは、一緒にそれぞれのまちに観光に行くと面白いかもしれない。
きっといろんな発見があるはず。どのまちの、どの家に住みたいかなんて考えてみても楽しい。毎日引っ越しもできるし、定住してほかのまちに観光に行くのもいい。
お話を作っていいし、ただ道を迷路みたいになぞるだけでも楽しめる。
こどもは自分なりの楽しみかたを見つける天才だし、大人が「こう読んだら」的にあれこれ設定しないほうがいいのかもしれない。別に物語なんてなくなっていいわけだ。
ちなみに4歳の息子は車のシールをはって、「ココちゅうしゃじょう」「ココじゅうたいしてる」「ココちゅうしゃきんし」などと新たな世界を作っていた。大人の想像の斜め上を行くのが、こどもなのだ。「絵本はながめるもの」なんて固定概念がないからこそ、自由に楽しめる。だからこそ、こどもは面白いし、えらい。
ふるびたきかんしゃのまち
きかんしゃのまちの人は、ふるくなって動かないきかんしゃをかいぞうして、住んでいます。
とっても大きなきかんしゃだったものですから、たくさんの人が住むことができるのです。
きかんしゃはもう動くことはできませんが、その蒸気エンジンはよく手入れされているので、まだしっかりとしています。
まちの人はそのエンジンを使って、でんきをおこしたり、パンを焼いたりと、いろいろとくふうしてくらしています。
きかんしゃのえんとつからは、もくもくと灰色の煙がでています。雨がふると、その煙が雨にまじるものですから、このまちのみちや屋根はまっ黒になるのです。
でもまちのひとはきれい好きなので、たくさん雨がふった次の日は、みんなブラシを片手にあちこちゴシゴシするのでした。
うみのなかにあるまち
ちなみにわたしはこのまちに住みたい。
イカに抱きついてゆらゆらと水中を漂うのだ。
ちなみにイカはマシュマロみたいにふわふわなので、抱きつくと体にフィットして、とても気持ちいいのである。
想像の世界はなんでもありなのだ。
自由に空想する楽しさを味わえる、そのような絵本である。
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