実家に帰って本棚を漁っていると、この絵本が出てきた。確か私が小1くらいのクリスマスにもらった「モチモチの木」という絵本だ。
おそらく母が買い直したのだろう。
ご覧の通り版画の濃ゆいタッチの絵本であるが、国語の教科書にも掲載されるほど名作である。
ガチャポンになるくらい。
しかし、これをもらった当時の私は、あの頃爆発的に流行っていたミニ四駆が欲しかったのだった。確か「ハイパーエンペラー」とかいう名前のカッコいいミニ四駆だ。そして、私はそれを何度も母に伝えていた。
にもかかわらず、包装紙の隙間からこの絵本が見えた時、私は大泣きした。
よりによってクリスマスプレゼントにこの絵本。あのときの母の想いは、今なら多少わかる気もするが、まだ子供の私には、おそらく早すぎた。
砕け散ったハイパーエンペラーの淡い期待と、目の前のモチモチの木。理想と現実のギャップとそのショックで、クリスマスイブに泣きじゃくったのはいい思い出だ。
しかし、今読み返してみるとやはりいいストーリーだし、版画も後半部分には色がつけられており、ハッとさせられるほど綺麗だ。
■ものがたりの紹介と感想
まったく豆太ほど、おくびょうなやつはいないーー。
このような出だしでストーリーは始まる。豆太はおじいさんと人里離れた一軒家で暮らしており、冒頭でも描かれているように人並外れた臆病者だ。
モチモチの木とは、家のそばにある大きな木で、その実をこねてつくる餅は、ほっぺが落ちるほど美味しいらしい。
このようにモチモチの木は、豆太とおじいさんに実りをもたらしてくれる一方で、夜になるとその存在は一転する。闇夜に広がる枝は、豆太の目には枯れた悪魔の手のように不気味なものに映る。
夜おしっこに行く際は、必ずおじいさんについてきてもらうほどに、夜の木は豆太にとって恐ろしい。
昼と夜で同じものが真逆の存在に見えるということは、子供の頃によくあることだし、暗闇を恐れるということは、本能的で原始的なものとして、我々の遺伝子に刻み込まれている。
それらから豆太を守っているのがおじいさんという存在である。豆太は庇護下にあり、ゆえに子供である。子供というのは、保護者によって守られている。しかし、いつまでも子供のままいられるわけではない。いつの日か、子供は大人にならなければいけない。
ある晩、豆太に試練が訪れることになる。おじいさんの容態が急変するのだ。豆太は医者を呼ぶために夜道を走ることになる。しかし、家を出れば、あの恐ろしいモチモチの木が待ち受けている。
豆太が己の恐怖に立ち向かうとき、その根幹にあるのは自分ではなく、おじいさんという存在である。子どもが大人に向かって成長していく際、それまで自分に向けられていたベクトルが、他者に向けられる瞬間がある。豆太にとっておじいさんを助けるということは、モチモチの木という恐怖の存在を乗り越えるということだ。多くの子供にとって豆太のようなドラマティックなことが起こるわけではないだろうが、たとえささいなことでも、そのような出来事を幾度も重ねて子供は大人になっていくのだろう。
勇敢さは臆病さと隣り合わせにある。恐怖の裏には実りがある。その象徴としてモチモチの木が描かれているのだろうと思った。
30数年越しに、母がこの本を選んだ理由が少しはわかった気がした。